2018/12/13

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コミュ障を克服する方法はあるのか?
自分にとって大切な人を大事にするのが一番
たった一人でも大切な人を大事にすることによって、自然と周りに人は増えていく連鎖が起きます。
保証は出来ませんが、自分を大切に思ってくれる(理解してくれている)相手がいるなら、そこから友人関係は広がるというロジカルが成り立つはずです。
もし面白おかしい話術で相手を楽しませることが苦手なら、中途半端な会話スキルなど気にせず、相手を思った行動をしていれば自ずと道が開けると思いませんか?
そうやって繋がった人は滅多なことでは切れない。
だから、ムリに友達を増やすのではなく、今、周りにいる人を大事にすることが先決というわけです。
「コミュ障」だからこそ、相手の嬉しいことに気づける事を認識しておくべきなのだとアシュは思います。
あなたが相手にされたら嬉しいことはなんだろうか?
それを相手にしてあげればいいだけです。
「なにかできることある?」と声をかけるだけでも良いんです。
戦略的に環境をつくる
は?そもそも、今の時点で友達だとか大事な人なんていないし。って人もいると思います。
なので、そのような人は、戦略的に自分で環境をつくることが手取早いです。
それには、「自分の興味のあるコミュニティに飛び込む」のが一番手っ取り早いです。
要はオフ会のような限定コミュニティで過ごすことです。
また、「みんなが好きなものに興味をもつ」というのも良いです。
これ結構なハードルかとは思いますが、「会話の第一歩は天気の話」と言うように、自分の興味の範囲を広げていくことで、少しだけ世界は広がるかも知れません。
とはいえ、興味のない音楽を聴いたり、興味のない飲み会を好きになれ、というのは苦痛ですから。
無理のない範囲で・・・というレベルで良いと思います。
大衆に迎合するような事をすすめながらも、僕自身はテレビなど見ないですし、流行りに合わせるような生き方をするつもりもないです。
まずは、相手の話をキチンと聞いて、自分が興味を持てる話題に引きずり込む、が有効打です。
あなたの周りでコミュ力が高い、と言われる人は無意識にやっていることなんでしょうけども。
日本社会では特に同調圧力が強いので、同質ではない人を排除したがります。
そんな社会で、自分を曲げたくない「コミュ障」が、完全孤立しないためにとる戦略は、やはり自分の興味のあるコミュニティを探して、そこに飛び込んでしまうことが最善なんだと思います。
自分のテリトリーに引きずり込む
家や特定の場所なら別人のように饒舌になる「コミュ障」もいると思います。
どちらかと言うと、アシュもそのタイプです。
その手の「コミュ障」は、人を自分のテリトリーに引きづり込むのが良いです。
ここは自分の居場所だから!という事がわかっていれば、ある程度は「安心」した気持ちで話も出来るようになります。
なんで、「リア充」グループに無理に入ろうとしなくていいんです。
相手を主体として考え、行動してみる
みんながみんな自分のことを中心に考えているので、それほど相手の事を考えていないと言えます。
何が言いたいかというと、「思いやり」と「おもてなし」のスピリットを持ってる奴が強いって話です。
相手を主体として考えられる人が、信頼や注目を集めるのは、ごく自然のロジックです。
コミュ障を克服するためには、このような相手主体で考えるクセが必要になります。
でも、思考の中では「コミュ障」は、ものすご〜く考えているはずなので、あとは、ちょっとだけ行動で示す。
これだけです。
相手が嬉しいって思うこと、すなわち、自分が言われたら嬉しい言葉を伝えたり、自分がされたら嬉しい事をしてあげれば良いだけです。
克服しようと思わずに受け入れる
コミュ障を、自力で克服できる人もいると思います。
アシュはムリでした。
というより、一時的にだと克服出来ているように振る舞えるのですが、結局ムリが重なってるだけでラクにはなっていない事に気が付きました。
これじゃダメだと、自分に鞭打って常に立ち向かって行きましたが、克服したというよりは「限界まで我慢」という感じの「根性」で無理をしていただけだったんですね。
自分にとって嫌な思いを生み出す環境があればさっさと排除するか、自ら逃げてしまった方が合理的だと思うようになってからは、「コミュ障」の自分を受け入れてしまいました。
他人にどう思われようが、「それが自分」なワケですから。
卑屈になって殻に閉じこもるというよりは、むしろ「コミュ障の僕を、コイツは攻略できんのか?」ぐらいの感じで、周りの反応を楽しむみたいな・・・
自分をムリに変えなくちゃ!!っていう強迫観念から解放されてからは、メンタルが自由な感じです。
まとめ
アシュは一日のなかの大半の時間を一人で過ごします。
仕事もたいてい一人で作業しますし、食堂でもほぼ一人です。
で、その一人の時間で何をやっているかといえば、読書か、思考か、文章を書くなどのアウトプットです。
どれも僕とっては「やりたいこと」であり、「いくらでも続けられること」です。
自分の得意分野によって社会に対してなんらかの貢献ができれば、それはそのまま「自分自身が存在する理由」になりますし、それを必要としている人もいるため、社会から完全に孤立せずにいられます。
今、ただのコミュ障だとしても、本などで感受性を磨き、自分の得意な分野で人に認められる結果を出したり、本当に信頼できる人に出会ったりすれば、環境が化けます。
環境が化けると、自分も変化したような気持ちになれます。
前向きな「コミュ障」になれるってことです。
「劇的に変わる」ことを目指すよりも、「時間をかけて徐々にやわらげる」か、あるいは「利用して活かす」というアプローチをとった方が合理的だと思います。
誰にでも可能性がありますから、たとえ根本のコミュ障気質が変わらなくても、その気質を十分に理解した上で
・コミュ障のままでも社会に対応するにはどういう方策があるだろうか?
・コミュ障でもできる仕事、あるいはコミュ障だからこそできる仕事はないだろうか?
と、考えてみる事が大切だとアシュは思うのです。