2018/12/13

理想と現実のギャップ
コミュ障のほとんどが、理想の人生を想い描いたとき
・たくさんの良い友達に囲まれてみんなに好かれる人気者になりたい
・何でも相談できる友情に熱い親友が欲しい
・一緒にいて楽しくて安らげるそして信頼できて尊敬できる友人と出会いたい
みたいなことを考えると思います。
みんなと楽しく笑いながら、仲良く暮らしたい。
そして、誰からも好かれたい。
ですが、人間関係への大きな期待と憧れを抱いていたはずが、実際に集団生活に入ると、ことごとく裏目にでた経験があると思います。
初対面の人たちに囲まれ緊張でガチガチになり、隣にいる人に明るく爽やかに話しかけて社交デビューするはずが、こわばった不自然な笑顔と、震える声で「はじめまして・・・」と言うのが精一杯な感じ。
冷や汗をかきながら、自分は会話についていくために首を縦に振り続けている間に、周りの人たちはいつの日にかグループを形成しはじめている。
徒競走で、華麗なスタートダッシュを切ったかのように、周りの人たちは抜け目なく「強い取り巻き」を、あっという間に作ってしまっている状況・・・。
隣にいる人は、自分とではなく、明るく社交的な人とばかり話し続けていて、いつの間にか自分の存在が空気と同化していく。
みんなが明るく楽しく、活発な会話のやりとりをする中で、自分はだんだん居心地が悪くなり、自分の居場所がないとすら感じ始める・・・。
首をうなだれて、沈みはじめた自分に対して声をかけてくれる優しい人もいない。
人間関係は、しばしばスタートで出遅れると、取り戻すのが大変です。
学校や会社のように、同じメンバーと「次の日」も「そのまた次の日」も顔を合わせる関係の場合、グループに入れず孤立すると、毎日がどんどんシンドくなっていいきます。
これは、アシュ(僕)の体験でもあります。
アシュは、内向的な性格なので、集団生活では大概このパターンで孤立していました。
そして、集団生活において人間関係の理想と現実のギャップを嫌と言うことを思い知らされてきました。
孤立とイジメとスクールカースト
人の心理は本当に不思議なことだらけです。
個人で接すると良い人なのに、集団になると、必ずと言っていいほど「生贄の奴」を作り出します。
学校や職場でのあるあるです。
ひとりかふたり、集団生活に馴染めずにはみ出した人が、冷たい扱いを受けているのを目にした事があるはずです。
あるいは、自分が仲良くしている人なら積極的に助けるのに、その「集団に馴染めずはみ出した人」が何かに困っていてもスルーしてしまった経験ってないですか?
スクールカーストに支配された小学生の世界を描いた漫画で、「校舎のうらには天使が埋められている」という作品がありますが、まさにその世界です。
教室の中の強者が、「イケニエ役」を蹂躙することで弱者を支配し、ある種のヒエラルキーを形成してくわけです。
集団の中で孤立してしまった人間は、「プチカースト」の最下層に分類されやすくなる構図です。
そして、孤立した最下層がイジメなどのターゲットにされる確率が高くなってしまいます。
アシュも学生時代に、どこのグループにも属さずに孤立した時がありました。
幸いイジメを受けたことはないのですが。
ですが、アシュの知り合いには、休んだ時に「ノートを見せて」と気軽に言える相手すらいないく、半泣きになりながら毎日を過ごした女性がいます。
その女性は、同じようにクラスの集団から孤立していて、何もしていないのに「意地悪」をされたこともあるそうです。
「自分は悪い事をしていないのに、どうしてこんな目に合うのか・・・・」と、悩んだ期間があったと言います。
こんな思いをするのは、なんで?
意地悪される理由は私が能力的に劣っていて、見ているだけでイライラするから?
運動音痴だから?
見た目がダサイから?
明るくハキハキと話かけられないから?
他人なんて何を考えてるか分からないし、怖い。人間なんて嫌いだ・・・・
そんな自問自答を続けたそうです。
これを回避する、手っ取り早い方法があります。
「仲間を作る」
です。
動物や魚たちがたちが群で行動しているのは、外敵に襲われるリスクを減らすためです。
群れをなす事は弱肉強食の世界では1つの自衛の手段なんです。
孤立しがちな「コミュ障」ならば、いち早く仲間を見つける努力が必要です。
自分に合いそうなタイプには自分から話しかけてください。
それが出来ないから「コミュ障」のだ!と、矛盾した感情があると思いますが、自衛のための仲間は必要です。
無理して誰とでも親しくしろと言う事ではないので、優しそうなタイプを見定めて、自分から話しかけてください。
それは、「コミュ障」でも最小限の被害で、集団に溶け込むための対策とも言えます。