コミュ障の働き方

働き方、稼ぎ方、生き方も、いろいろです。 捉われず、自由に、自分らしく。

道で知っている人を見かけても声をかけられないんだよ!!

time 2018/11/03

道で知っている人を見かけても声をかけられないんだよ!!

別の場所で会うとなぜ気まずくなるのか

それ自分のことです。と、うなずきたくなる人がいるかと思います。

学校や職場の人と、スーパーや近所の道路で出会ってしまった場合、つい知らんぷりして通り過ぎてしまった経験は無いですか?

学校や職場では明るく気さくに話をしていたのに、別の場所で会うと、気まずい感じがする。

普通に「こんにちわ」と感じよく挨拶して通り過ぎればいいだけなのに、それがなかなかうまくできない。

うまく通り過ぎたとしても、もやもやとして暗い気分になる。

これは一体、心の中で起きている現象としてはどのような状態なのでしょうか。

学校や職場は、自分にとってはいわば公の場です。そこで常に公にふさわしいペルソナをつけているはずです。

ペルソナとは仮面のことです。演じた自分と言うことです。

・目立たないけれども、人の話を聞きながらニコニコしている自分。

・てきぱきと仕事をこなし、颯爽としている自分。

・先生や上司に気に入られている優等生な自分。

これらは、公の場で生き延びるために付けている仮面です。

しかし、自宅周辺にあるスーパーや道路は、公では見せられない子の自分のままでいられる私の場です。

公の場で緊張していた神経を緩めることができる唯一の空間です。

自分がそこで私のままでリラックスしながら買い物をしたり、ちょっとだらしない格好で歩いています。

そんな油断した状態で、公の場でしか合わない人と会ってしまったら、どんな気持ちになるでしょうか。

公のペルソナしか見せたことのない相手に、仮面が削がれた自分の姿を見られてしまってた。恥ずかしい。相手にプライバシーを見られてしまったような気がする。早く身を隠すか、仮面を被り直さなくては…。

 

ペルソナの弊害?あるいは防衛本能か

コミュ障にとって、仮面を剥がされる事は、集団生活のサバイバルを脅かされるも当然なのです。

人に私生活を暴かれると、集団生活で作り上げた自分のイメージの崩壊につながるケースがあります。

学校や職場での自分と日常生活での自分が原稿不一致では困るのです。

ですが、自分自身はそれぞれの場所で違う自分を演じていることを知っているので辻褄を合わせるために焦るわけです。

もう一つ考えられる理由としては、他人に自分だけのテリトリーに踏み込まれたくないと言う防衛本能です。

オンとオフを完全に分けたい、と考えているタイプに多いはずです。

プライベートまで、仕事のことを考えたくない。だから仕事を思い出させる職場の人間とは出会いたくない、立ち話で引き止められたら面倒だし疲れる、と知らないフリをするわけです。

人に気が許せないタイプ、とも言えます。

防衛本能が強すぎると、他人に合っただけで全身にアドレナリンが駆け巡るような感覚を覚え、飯戦闘態勢に入ってしまいがちです。

いずれにせよ相手から声をかけられたら余計気まずいし、うまく通り過ぎても自分ってダメなやつ…など、コミュ障としての対応しかできない自分に対して自己嫌悪感が湧いてきます。

何度かこれを繰り返すと、道で知人と出会うかもしれない、とストレスを抱えることもあります。

何より相手の自分に対する心証は、「ダダ下がり」です。

あー、無視されてしまった…

感じ悪いなあいつ…

挨拶もする気ないのか…こっちも今度から無視しよ…

といった具合に、相手も不快な気分になります。

本当は軽く、「あら、こんにちは。」と、笑顔でさっと通り過ぎればいいのです。

これができないんですけどね…。

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