2018/12/13

心に摩擦が生まれるのは理想と現実が違うから
「コミュ障」や「ぼっち」も、人間関係でつまずく前は性善説に満ちた調和した関係を夢見ていたはずです。
しかし現実には仲違いをしてしまったり、傷つけられるばかりの破綻した人間関係が待っていたのです。
人は本能的に、より良い人生、そして豊かな人間関係を望みます。
でも、その理想はどうやって生まれたのでしょうか?
プラトンの、「イデア論」について聞いたことがありますか?
実在するものに対する認識は、人が既に「イデア」と言う理想型(理想の世界)を知っているからこそ、正確に認識できるというものです。
もっと違う言い方をすると、人は生まれながらにしてこの世に存在しているものの理想の姿を知っており、不完全なコピー品を見ると、これは理想の形とは少し違うと見分けることができるということです。
または、イデアはクッキーの型抜きにもよく例えられます。
星型のクッキーを作る場合、イデアは星型の形そのものです。
現実に存在するものは、型抜きで作られた星の形のクッキーです。
クッキーは完全に近い形のものから、少し先がかけたものまでありますが、どれも星型と認識できます。
人間関係でうまくいかない時、人の心の中で摩擦が生じます。
こんなはずじゃないと言う葛藤です。「何かが違う」と感じるからには理想の姿がどこかにあるはずです。
「こうあるべき」と言う理想の、人間関係のイデアが、あらかじめどこかに存在しているのかもしれません。
僕は人間関係で葛藤を覚えるたびに、
・理想の人間関係とはなんだろう?
・そもそも、理想の人間関係などあるのか?
という疑問を感じました。
理想と現実の違いにギャップを感じるからこそ、苦しみがあるのです。
その理想は、一体どこからやってくるのですかね?
プラトンが永遠の日や完全に前なるものを求め、哲学によって立証しようとしたように、人は人間関係について理想とする姿を追い求めているわけです。
そしてその理想こそが、苦しみの元になっているという…
理想は理想のままであり、簡単には手に入らないですから。
理想の人間関係とは、どのようなものか
もしも、魔法のように自分の内面にある理想の人間関係を現実に築けるとすれば、どのようなものになるでしょうか。
「もしも?」ですから実現可能かどうかは置いておいて、妄想してみますw
みんなが自分のことを好きで、自分もみんなが好き
周囲は自分のことを深く理解していて、大切にしてくれる
一緒にいて気楽で、安心できる。楽しい。
本心でお互いに話し合える関係
お互いに助け合ったり、分かり合える関係。
利害関係がなく、人と人として対等な関係
自分を認めてくれて、自分の周りを尊敬できる関係
個性的で面白い、知的な会話ができる関係
リスト化していくと、たくさん出てきます。
人間関係に不満があるのであれば、逆にじゃぁ自分はどんな人間関係なら満足できるのだろう?
と、
反対の視点から見てみるといいと思います。
それがひょっとしたら、自分が内側に抱えている理想かもしれません。
理想と言うのは着地点です。
そこがわかれば、
目標に向かってどう工夫すればいいのか、自分が何起がっているのかがはっきりと見えてくるはずです。