コミュ障の働き方

働き方、稼ぎ方、生き方も、いろいろです。 捉われず、自由に、自分らしく。

誰もが全ての人に好かれるわけではない

開き直ってみる

「コミュ障」と「ぼっち」の苦しみの多くが、人に嫌われることです。

たとえ人に好かれる事はなくても、少なくとも嫌われることだけは回避したい。

人に嫌われる事は耐えがたい苦痛だと感じているわけです。

ですが、誰にでも好かれる普遍的な人間像とは何でしょうか。

まぁ、「神様のバカヤロー」って具合に、神でさえもdisられることがあるくらいですから、100%嫌われないことはないと思います。

性格が良くて非の打ちどころがないような人がいても、妬み深い人間からは「なんだよ、上品ぶっちゃってよ」ななんて感じで誹謗中傷されます。

好かれすぎて、褒めたたえられるような人は他人の嫉妬を買ってしまうのです。

どんなに素晴らしい人物でも、全ての人から好かれるわけにはいかないのが普通だということです。

逆に、根性が悪くて毒舌、誰からも嫌われる性質を持った人でも、「あいつはクソ野郎だけど話すことが面白い」とか、「なんか分かる。敵が多い奴だけど共感できる」と評価されることがあります。

欠点が好かれる理由になることもあるのですから、世の中とは面白いものですよね。

一言で言ってしまうと、

「誰からも好かれると言うのは幻想である」

ということです。

誰からも好かれているように見えても、誰かには嫌われていたりします。
嫌う人がごく少数派であるに過ぎません。

そんな世の中ですから、全部の人から好かれるわけにはいかないよなぁ・・・と開き直ってしまえばいいんです。

誰か、きっと自分に合う人がどこかにいるだろ・・・程度に。

います。確実に。Twitterとかだから廃れないんですよね。

 

好き嫌いは、自然に湧き上がってくるものなのだ

これまでの人生で、「他人を支配」しようとしたり、「自分の言いなり」にさせようとした事はないと思います。

意図せずに他人を不快にさせた経験はあったとしても、積極的に人をいじめたり、意地悪した事はコミュ障は少ないだろうと思います。

人が恐ろしい、と他人に恐怖を抱いている人間は、人をイジめると言う発想すら思い浮かばないですから。

それどころか、恐怖や暴力で無理矢理、人の心をねじ曲げようとしたり、言うことを聞かせようとする行動に対しては、心からの嫌悪感を抱いているはずです。

 

ところで、好き嫌いの感情にすべてに理由をつけられます?

 

好き嫌いは基本的に感覚的なもので、自分ですらコントロールできません。

好きになろうとして努力しても、好きになれないものはありますよね。

好き嫌いに理由はないと言う前提をつけておきながら、周りの人みんなに自分を好きになってほしいと言う願望を持つことが、矛盾していることに気が付いてください。

もし、好きになってほしいと言う思いを押し付けてしまうと、それは他人の心を「コントロール」しようとしていることになります。

本来、最も嫌っている行為なのにです。

好き嫌いは、自然に人の心に湧き上がってくるもので自分自身でもままならないものなんです。

理由があって嫌いになる事はあるでしょうが、なんとなく、好きになれない…と言う時だってあるはずです。

誰かが、自分のことを嫌いだと言うのなら、自分を嫌うその人の自由な心を認めてあげた方が良いです。

人の心は自由であり、好きになったり嫌いになったりするのは完全にその人の自由です。

それは、明日の天気が晴れだったり、雨だったりするのと同じように、人の手が及ばないことだからです。

でもがっかりしなくて大丈夫です。

自然な心で自分を好んでくれる人も、必ずいます。

家族、会社、学校、部活など、今現在の目の前にあるコミュニティ以外に視野を広げて探してみて下さい。

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